片付けをしてたら、大学時代に書いた記録を発見した。
あの時感じてたいろんなこと、旅先でみたこと、いろいろ思い出した。
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2004年11月15日
(抜粋) インドやペルーの途上国巡りを終えて今感じることは、温かい思い出に浸るセンチメンタルな気持ちよりも、今もずっとこれからも同じように暮らしていくであろう村の人々に対する無力感。ある日村に突然やってきて、ボランティアをして、そして去って行った日本人の女の子をきっと村の人達は覚えていてくれるかもしれない。でも私が教えた学校に行けない男の子は、あのときのまま、何もしないで誰とも遊べずに家にいるのかな。汚染された海には魚がいないから、今日も漁師達は何も取れなかったといって帰ってくるのかな。 イギリスに戻ってきた私は、ボタンひとつで洗濯をして、蛇口をひねっただけで温かいシャワーを浴びて、"普通"の生活に戻った。もうバケツの水を小さな鍋で沸騰させて、桶の中で体を洗うこともないし、手をつめたい水に浸して洗濯する必要もなければ、ベットに生育するダニに全身を刺されて朝起きるなんてこと、おそらく無い。でもあの村はきっと変わらず、変われず、あのまま続いていくのかなって思うと、どうすることもできないだけに悔しい気持ちでいっぱい。
裕福な国に生まれた私たちはたまたまラッキーで、蛇口をひねっただけで飲み水がでたり、ワンタッチで機能する生活を送るのが別に悪いわけじゃない。けどこういう生活に少しだけ後ろめたさを感じちゃうのは、学校に行くためにたくさんの小さな子供たちが道端で働いているという事実や、先進国に輸出するコーヒー豆の栽培のために危険な場所で重労働をしつづけている人が沢山いること、そしてそのコーヒーが100円ショップでも売られている日本、そういうことが私たちの普段の生活には隠れてしまっているからなのかも。
募金やボランティアだけでは途上国の問題は解決しない。必要なことは、先進国に住む私たちが普段の生活の中で、彼らの存在を少し意識することだと思う。遠いインドもペルーでも、貧しさの一因に日本もかかわっていること、それを意識する義務が私たちにはあると思う。
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そして最後に『ペルーで毛のついたチキンも、牛の心臓も、モルモットも食べた私は元気です』と締めくくられていました。つくづく、いろいろ食べたな・・・。
わずかな年月でだいぶいろんな記憶が薄れている。時間だけが過ぎていく。まだ何もできてない。 もういちどスタート。